すすきのテナントビルならLCグループ

BLOG ブログ

ホストクラブの歴史とは?誕生から現在まで更新日:2024.04.25

 

こんにちは!札幌すすきの・函館・旭川を中心にテナントビルを展開するLCグループです!

 

「ホストクラブ」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

 

男性従業員が女性客を接客するホストクラブは、実は日本特有の文化。

高度成長期の1960年代にその前身が誕生したといわれています。

 

今回のコラムは、ホストクラブの歴史のお話です。

ホストクラブの誕生から発展、そして時代の流れによる衰退や再びの盛況など、現在までのホストクラブの変遷を解説します!

歌舞伎町

 

 

ホストクラブの歴史とは?誕生からバブルまで

ホストクラブは、男性従業員がお酒や会話で女性客を接客するお店です。

 

ホストクラブの前身は社交ダンスの場

日本で最初に誕生した女性客を対象とした飲食店、いわゆるホストクラブは、高度成長期の真っただ中にある東京オリンピックの翌年、1965年に東京駅八重洲口前でオープンした「ナイト東京」といわれています。

当時は女性客が社交ダンスを楽しむためのお店で、女性ホステスが男性客を接客し、生バンドのダンスフロアを有するグランドキャバレーを前身としたものでした。

 

男性ダンサーはお店の従業員ではなく、「場代」と呼ばれる入場料を自分で支払ってお店に入店して奥に待機。

お店からの給料はなく、女性客からダンス相手に指名されたときのチップや休憩時の飲食で生活をやりくりしていました。

 

そして「これでは生活が苦しい!」と考えた男性ダンサーが小型の「女性専用クラブ」をつくり、自分の指名客を呼んだのが、現在のホストクラブの原型だといわれています。

 

現在のホストクラブの形を確立した「クラブ愛」

さらに、1971年に当時売れっ子ホストだった愛田武が独立して新宿2丁目に「クラブ愛」をオープンし、これが現在のホストクラブに近い形となりました。

 

女性客が社交ダンスを楽しむ場から、お酒を飲みながら男性従業員との会話を楽しむ場へ変化したのです。

 

現在のホストの仕事は、おいしいお酒と楽しい会話で女性客を楽しませること!

こちらのコラムでもホストに向いている人の特徴をご紹介しているので、チェックしてみてくださいね。

 

ホストに向いている人の特徴は?向いていない人の特徴も紹介!

 

バブル絶頂期の隆盛とバブル崩壊による衰退

「クラブ愛」の登場と拡大をきっかけに、歌舞伎町ではホストクラブが増加し、1980年代後半から1990年代前半のバブル時期にはホストクラブも最盛期を迎えます。

 

しかし、1990年代前半に起こったバブル崩壊はホストクラブにも大打撃を与え、多くの店舗が閉店しました。

 

一方で、閉店したホストクラブからホストを迎え入れることで、さらに発展するホストクラブもありました。

 

 

lcグループline友達登録

ホストブームと歌舞伎町浄化作戦

バブル崩壊後の1990年代後半から2000年台前半は、メディア戦略によるホストのイメージの変化と自治体などによる取り締まりの強化がありました。

 

カリスマホストによるホストブーム

1999年頃より、広告戦略として各店の人気ホストが相次いでテレビ出演をするようになり、ホストの一般認知が広がって社会的なイメージも向上。

 

売れっ子ホストは「カリスマホスト」としてメディアに取り上げられ、一般社会でもホストブームが起こります。

 

この頃には、ホスト業界ではタブーとされていた「独立」をするホストも現れ、カリスマホストたちが次々と自分のお店をオープンさせていきました。

 

ただし、その中でホストクラブで多額の借金をつくった女性客に対する強引な取り立てや、売春の斡旋なども問題となっていました。

 

歌舞伎町浄化作戦

2003年には夜の街という歌舞伎町のマイナスイメージを一掃してクリーンな街づくりを進めるため、風俗店や暴力団を対象に一斉取り締りを行う「歌舞伎町浄化作戦」が行われました。

 

東京都迷惑防止条例による路上での客引きの禁止やホストクラブの営業時間(深夜0時まで)の厳守が徹底され、これにより多数のホストクラブが摘発・閉店へ。

 

営業時間の厳守を余儀なくされたホストクラブでは、早朝6時から営業を開始する「日の出営業」などを行う店舗も登場しました。

 

また、2008年にはリーマンショックの影響でさらに多くの店舗が閉店に追いやられていきます。

 

 

現在のホストクラブとは?

ホストクラブ

その後、2010年代から現在までのホストクラブの状況もご紹介します。

 

現在は、ホストの営業スタイルの変化や売上の高額化、社会問題に対する自浄の取り組みなどが進んでいます。

 

東日本大震災とネオホストブーム

2011年に発生した東日本大震災では、節電要請によりネオンをつけた営業ができなくなったり、営業の自粛や原発事故による風評被害などで売上が落ち込んだり、ホスト自身が歌舞伎町を離れるケースもありました。

 

一方、これまでのホストの常識を覆す接客スタイルの「ネオホスト」も登場。

スーツではなく私服で勤務し、アルコールを飲まずにソフトドリンクで接客するなど、自由な接客スタイルでさまざまなタイプのホストが増えていきます。

 

コロナ禍による経営危機と再びのホストバブル

2020年、新型コロナウィルスの影響で客足が減り、緊急事態宣言による休業などで売上が大きく落ち込みます。

ホストクラブを含む多くの飲食店では、そのまま閉店してしまうケースも少なくありませんでした。

 

また、政府の休業要請を無視して営業を続け、感染症拡大を起こしたお店もあり、ホスト業界全体のイメージが低迷することに。

 

しかし、コロナ禍でありながら売上を伸ばすお店やホストも登場します。

SNSの発達と「推し文化」の相乗効果により、ホストをアイドル的に楽しむ人が増えたのです。

 

ホストがよりカジュアルに利用されるようになり、歌舞伎町では年間数億円という歴代最高売上も話題になりました。

 

高額売掛問題と自浄の取り組み

現在ブームを取り戻したホストクラブですが、高額化や女性客の低年齢化などから、高額の売掛(つけ払い)を支払えず、風俗や売春を余儀なくされる若い女性が増えていることが社会問題に。

 

なかには「払えないような高額なお金を“つけ”で使わせ、風俗や売春を斡旋して回収する」という仕組み化をしている悪質なホストクラブが見受けられることもあるようです。

 

そこで、売掛の禁止や20歳未満の入店禁止、明朗会計、サービス料の廃止などを取り決めるなど、自治体と相談しながら自ら対策に乗り出すホストクラブも増えてきています。

 

ホストクラブでは、お客様が主役になることができ、盛大なおもてなしを受けたり、シャンパンタワーやシャンパンコールなど非日常感のある体験ができたりなど、エンターテイメントとして楽しくお酒が飲める夢のある場所です。

 

年々クリーンな場所になってきており、安全にお酒と会話が楽しめるホストクラブもたくさんあるので、安心してくださいね!

 

 

まとめ

●ホストクラブの歴史とは?誕生からバブルまで

日本で最初のホストクラブが誕生したのは1960年代。

当時は女性客が社交ダンスを楽しむためのお店でした。

その後「クラブ愛」を皮きりに、現在の形に近いホストクラブが歌舞伎町に多数登場。

1980年代後半のバブル期には大きく盛り上がりましたが、バブル崩壊とともに閉店する店舗も多数ありました。

 

●ホストブームと歌舞伎町浄化作戦

2000年前後に起きたホストブームにより、カリスマホストが多数誕生。

しかし、2003年の歌舞伎町浄化作戦で違法な客引きや深夜営業のホストクラブが多数摘発されます。

2008年のリーマンショックの影響による閉店も相次ぎました。

 

●現在のホストクラブは?

東日本大震災やコロナ禍による経営危機を乗り越え、ホストクラブは再び売上を伸ばすバブル時期に。

SNSや推し文化により、ホストがよりカジュアルに利用されるようになったのです。

一方で、女性客が高額な売掛を払えず風俗や売春を余儀なくされるケースもあり、社会問題に。

そのため、ホストクラブでも無理な売掛の禁止や明朗会計といった自浄の取り組みを進めるところが増えています。

 

LCグループは札幌・函館・旭川で貸しビル事業・ビルメンテナンス・不動産事業などを行なっています。

テナント探しやビルメンテナンスなどでお困りの方は、LCグループへお気軽にお問い合わせください!

 

lcグループline友達登録